2022年シーズンをもって、阪神タイガース・矢野耀大監督、広島東洋カープ・佐々岡真司監督、千葉ロッテマリーンズ・井口資仁監督、埼玉西武ライオンズ・辻初彦監督が退任されました。
各球団の次期監督として発表されているのは、それぞれ岡田彰布監督、新井貴浩監督、吉井理人監督、松井稼頭央監督です。岡田監督を除く3人がプロ野球 新監督ということで、どのようなチームづくりをしていくのか楽しみです!
今回は、昨年まで西武ライオンズのヘッドコーチとして辻監督を支えてきた松井稼頭央新監督について、プロフィールや経歴をまとめていきます!
松井稼頭央のプロフィールと家族構成
- 名前:松井稼頭央(本名:松井和夫)
- 生年月日:1975年10月23日
- 年齢:47歳(2022年11月現在)
- 出身地:大阪府東大阪市
- 投打:右投両打
- 守備位置:遊撃手、二塁手、三塁手、外野手
- 配偶者:松井美緒
- 子ども:松井遥南(2000年11月9日生)、息子(2008年10月23日生)
松井稼頭央監督は、選手時代にプレースタイルだけでなくそのルックスからも人気を博しました。
そんな松井稼頭央監督のお嫁さんは、タレントの美緒夫人で、2人の子どもがいます。松井稼頭央監督の娘の遥南(はるな)さんは、現在サマンサタバサのアンバサダーを務めるなど、モデルとして活躍しています。息子さんもいるそうですが、氏名は非公表。奥様・美緒さんのSNSには「怪獣くん」として表現されています。
松井稼頭央の経歴
続いては、野球選手としての松井稼頭央新監督の経歴をまとめていきます。過去に所属していたチームは、次の通りです。
- PL学園(1990~1994年)
- 西武ライオンズ (1994~2003年)
- ニューヨーク・メッツ (2004~2006年)
- コロラド・ロッキーズ (2006~2007年、2010年)
- ヒューストン・アストロズ (2008~2010年)
- 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011~2017年)
- 埼玉西武ライオンズ (2018年)
PL学園高校時代
小・中学校時代、投手としてあと一歩のところで全国大会出場を逃した、松井少年。高校では「必ず甲子園に出場したい」と、大阪の強豪・PL学園高校に進学します。
PL学園高校では1年生からベンチ入りし、センバツの準々決勝に先発投手として出場しました。肘の故障やぎっくり腰などと闘いながらプレーを続けますが、2年生・3年生では県大会決勝で敗れるなど、小・中学校時代同様にあと一歩のところで全国大会出場を逃してしましました。
それでも松井少年の身体能力はプロからの評価が高く、1993年に西武ライオンズから野手としてドラフト3位で指名を受け、プロ入りを果たします。
西武ライオンズ時代
1994年のプロ1年目でスイッチヒッターに転向し、登録名を本名の「和夫」から「稼頭央」に変更しました。当時、野手の動きに関しては素人同然だったようで、スライディングの仕方や守備の動き方から学ぶ必要があったそう。それでも、誰からも「練習の虫」と言われるほどの努力を重ね、球界を代表する遊撃手となっていきました。
2年目には一軍に定着し始め、69試合に出場し、21盗塁を記録。盗塁死はわずか1で、盗塁成功率.955という素晴らしい結果を残しました。
3年目の1996年には、全130試合にフル出場し、リーグ2位の50盗塁(盗塁死9、成功率.847)を記録しました。この年から不動のレギュラー遊撃手として活躍し、メジャーリーグ挑戦のために西武を退団する2003年まで全試合に出場し続けました。
2002年には打率.332、193安打、36本塁打、88長打(NPB記録)、87打点、33盗塁、出塁率.389、長打率.617、OPS1.006というとてつもない記録を残し、スイッチヒッターとしては史上初のトリプルスリーを達成しました。
メジャーリーグ(MLB)時代
プロ入り10年目の2003年に海外FA権を取得し、日本人内野手初のメジャーリーガーとしてニューヨーク・メッツへ移籍しました。
満を辞してMLBに挑戦した松井稼頭央選手は、メジャー史上初となる開幕戦新人の初球初打席本塁打を記録する活躍を見せますが、天然芝に苦しみ、守備で不安を抱えることとなりました。また怪我にも苦しめられ、シーズンを通して力を存分に発揮することはできないまま、レッズ・ロッキーズ・アストロズとチームを転々としました。怪我に苦しめられた松井選手ですが、出場すれば必ず結果を残していたため、チームメイトや監督からの信頼は厚かったようです。
MLB挑戦の7年間で615安打を記録し、2010年に日本球界に復帰することを決断しました。
日本球界復帰後(楽天・西武)
2011年シーズンから日本球界に復帰した松井稼頭央選手でしたが、その後も怪我に苦しめられながらプレーすることとなりました。ただ、MLB時代同様、出場すれば結果を残していました。
2015年には外野手登録となり、外野手へ本格転向。4月11日のオリックス戦にてプロ野球史上54人目となる3,000塁打を達成し、23日のロッテ戦ではNPB・MLB通算450盗塁を記録。7月28日のソフトバンク戦では、NPB通算2,000本安打を達成、8月14日の日本ハム戦で史上12人目のNPB通算400二塁打を記録しました。このように、2015年は通算記録ラッシュとなりました!
その後、2017年には15年ぶりに西武ライオンズへ復帰、2018年に現役を引退しました。
最後に
今回は、ドラフト2022が監督として初めての仕事となった松井稼頭央新監督のプロフィールや選手としての経歴をまとめてきました。現役時代は、華々しい活躍をしてきた選手でありながら、偉ぶるようなことはなく人望を集めている松井稼頭央新監督。来年からは、NPB・MLBでの経験を選手たちに還元していってもらいたいですね!